さてラストは次女の話。ミステリーとは関係ありません。
次女は整列すればいつも前から一番か二番というぐらい体は小さかったが、健康に恵まれ病気知らずの元気な子でした。
中学二年の秋、土曜の午後から腹痛が始まり夕方から9度近くの熱、体を折り曲げるような腹痛と嘔吐が始まった。大学寮でも同じ症状を見たことがあり、99%の確率で虫垂炎だと思った。すぐ近くの外科へ連れて行こうと思ったのに、念のために知り合いでもある掛かり付けの小児科医に電話したのが運の尽きだった。自宅へ帰っていたのに「診ましょう」と言ってくれたので、車で連れて行った。丁寧に診てくれて「これは虫垂炎ではない、ビールスによる腸炎であろう」という診断で痛み止めと、抗生物質を処方箋され、症状が治まらなかったら明日また診ましょうということになった。
翌日になっても腹痛は治まらず又連れて行ったが、どう診てもこれは虫垂炎ではないと言われた。月曜になっても症状が治まらないので、すぐ病院へ行くよう言って、出社した。午前中妻が連れて行ったところ、流石にこれはおかしいと思ったのか、歩いて1分ぐらいの病院へ行くように指示され、娘は妻に抱えられながら歩いて行ったそうである。そして診察した外科医は超激怒し「今まで何をしていたのだ」と怒鳴りつけたそうだ。
重度の腹膜炎の緊急手術と言う連絡が会社にあり、早退して病院へ駆けつけた。手術が終わり、執刀医の説明を受けた。完全にはじけている虫垂を見せて「汚物が腹中に飛び散っていたのを、目に見えたものは取り去ったが、多分まだ残っていると思うので、汚物がダグラス窟(か)という下腹部に溜まってきたところでもう一度手術することなるだろう」という説明を受けた。これで命だけは取り留めたということで一安心したが、まだまだであった。まず9度前後の熱が下がらないまま一週間が過ぎ、また全身麻酔による再手術があった。今度は腹膜炎ではなくダグラス窟膿瘍という病名だった。術後少しずつ元気を取り戻したが、8度前後の熱が下がらず結局退院するまで二ヶ月ぐらいかかってしまった。退院するときに、執刀医から「二度目の手術の時は本当に危なかった、よく体が耐えてくれた」と言われた。そういう説明を受けなかったので、知らぬが仏であった。
そして子供たちの中で学者だった父の血を引いた唯一の子だと思っていたのに、病後全く普通の子になってしまった。
この後、「血液検査すればすぐ分かったのに何処の医者か」と何人からも聞かれたけれど、私たち夫婦が医者の名前を漏らすことはなかった。しかし、残念ながらこの医師による謝罪は一切無かった。
数年後三女が腹痛を起こしたとき、一瞬迷ったが、親友である主治医の内科医に連れて行った。一瞬でも迷ったのが残念だった。
今でも次女には申し訳ない気持ちで一杯である。しかしこの子の試練はこれが終わりではなかった。
その後、短大卒業のあと、東京へ就職し八年ほど前結婚した。子供が出来ず大学病院で不妊治療受け始めたとき、子供が出来た。大事に大事にして週一回は電話をしていた。いよいよ八ヶ月に入り、半月後から産休に入り、当地に帰って来て産む手筈を整えていたある朝、死産したと電話があった。妻がすぐ上京し病室に行くと、家族で一番気丈だった子が「わっ」と抱きついて号泣したそうだ。千人に一人ぐらい起きる、胎児の突然死、解剖しても原因は分からないと言われたそうだ。1.8kgのきれいな男の子だった。
二年後難産の末、無事男の子が生まれた。現在四歳、朝飼っている目高を見て「これとこの目高はきょう死ぬんだよ」と当てたユニークな子である。
そして去年妊娠したという電話の後二ヶ月弱でまた流産した。
今年になって子供が出来たようだがまた流産しそうと電話があった。ハードな仕事なので仕事は絶対に駄目だと言われ、現在病欠中である。そのため流産の危機は去り、おなかの子は順調に育っている。
今まで、妹たちのことに無関心だった長男が「前向きで希望を持って生きるべし」という内容の本を妹に送り、私たち夫婦は、先祖の霊と我が「母上大明神」に今はこの子に集中して守ってくれるようにと、朝晩のお祈りを欠かさない毎日である。
そこで、最初の霊視者に戻る。彼に次女の写真を見せ、妊娠していることを告げて霊視して貰ったが、彼は無理さえしなければ「男の子」が無事生まれると断言した。三日前、おなかの子の性別が分かったのだが、霊視者の予言が当たったかどうかは、来年その子が生まれるまで秘密である。
以上が私以外に起きた家族の出来事である。
この次女が退院して一ヶ月後に父が亡くなった。そしてその年に妻の手術、次の年に母の死亡と続いた。それから長女、長男の事故があった。三女の事故から正に悪夢のような日々が続いたわけである。しかし今振り返れば、よくぞ危機一髪という危機を家族全員が無事に乗り切ることが出来たのは、何かが守ってくれたミステリーではと思っているのである。
さて家族の中でただ独り災難を免れていた私に、神は最後の試練をお与えになりました。いずれ又。
暑いわンワン!
長崎はお盆にお墓で花火をするのが常識です。ドラゴン花火
長崎のミルクセーキは匙で食べる
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