脳腫瘍

2008年10月 2日 (木)

年に一度のMRI

毎年頭のMRIを撮っている。10年前に手術した下垂体腫瘍が全部取れなかったためである。腫瘍が頭の中にある内頸動脈を圧迫しているので、動脈に張り付いている部分はあえて残したといわれた。それであなたの寿命と腫瘍が大きくなるのとどちらが早いかと言われたのだが、過去十年間全く変化がなかったので、「今年変化がなかったら今後は二年に一度でいいでしょう」ということになっていた。

9月にMRIを撮ったが、初めて変化が表れ「去年より大きくなっているので又来年撮りましょう」と言われた。しかしあと10年は大丈夫だそうである。つまり10年ぐらいは治療する必要がないと言うことらしい。これで寿命と腫瘍の成長とどっちが早いかという言葉が現実味を帯びてきたことになる。といっても、良性腫瘍だから命に別状はない。
しかし手術はもう御免である。山人の場合は、朝7時半に出発して午後3時に観察室に戻ってきたから7時間ぐらいかかった。下垂体腫瘍の手術としては長く、脳腫瘍としては短い方だと思う。友達になった I さんは良性腫瘍だったが、8時に出発して夜の12時過ぎに帰ってきた。
(手術はまず腰から脊髄に針を入れて、空気を送り込み、その空気が髄液の中をぶくぶくと下垂体まで上がっていき、髄膜を持ち上げていた腫瘍が空気で髄膜と離れたことが確認出来てから、手術がスタート。まず上唇をまくり上げ、歯茎との付け根を12cmぐらいをざくりと切って、鼻を切り離し、鼻の奥の粘膜をはがして、(腫瘍を取った後で又貼り付ける)ガードしている骨に穴を開ける(これも後で何かでうめる)。そこまでを耳鼻科が担当して脳外科にバトンタッチ、骨の奥にあるトルコ鞍に穴を開け、腫瘍を削り取ると言う手術。また術後が大変、麻酔が取れてきた午後4時頃から顔面が破裂するような激痛が始まり痛み止めを2回使って、やっと激痛が治まったのが翌日の午前4時だった)

今後の治療はガンマーナイフを使うかどうかであろう。術後もガンマーナイフを使うと言われたが、片目失明の可能性が5%位有ると言われたのでこれは断った経緯がある。10年後の放射線治療の精度はさらに上がるから今度は受けても大丈夫だと思う。今まで成長しなかったのがミステリーであって、これで正常になったと言うことだろう。山人の闘病に終わりはないようである。

すかんぽ? 当地では子供の時「すいかんぼ」と言っていました。茎をかじったり茎の中にある筋で斬り合いをして遊びました。

Photo

2008年7月 6日 (日)

定期検診

Photo

三ヶ月に一度N病院脳神経外科へ通院している。問診とチラージンS錠という甲状腺ホルモン剤の処方箋を書いて貰う。そして半年に一度血液検査でホルモン検査をする。
今回は四月に受けたホルモン検査の結果を知らされたが、薬を飲んでだがすべてのホルモン値は正常値ということでした。また年に一度、頭のMRIを撮っている。
病名は下垂体腫瘍、良性腫瘍だから転移の心配はないが、頭のど真ん中にある。
40ぐらいから始まった頭痛、不眠、鬱、体の芯を一本抜かれたような虚脱感などの体調異変はこれ以外考えられない。早期発見であれば、2、3時間ぐらいの手術で終わり、今では易しい手術の部類に入るようだ。山人の場合は下垂体をガードするようにすぐ下にある
「トルコ鞍」が腫瘍ですり減って薄くなっていたと術後の説明を受けたが、小指の先ぐらいの下垂体が親指3本ぐらいまで大きくなっていた。
手術は視神経とか動脈が近くにある左側は残さざるをえなかった、という説明を受けた。それで腫瘍は全部とれなかったので、「あなたの寿命とまた腫瘍が大きくなるのとどっちが早いか」と冗談のように言われたものだ。かようなわけでMRIは毎年撮っている。
執刀医から「あなたは術後の経過がよすぎるぐらいにいいよ」といわれたが、幸いなことに去年のMRIの結果でも形が術後とほとんど変わっていないので、今後は二年に一度でいいかもという話になった。

 昨年までの国立病院が今年から独立法人になり少し様変わりしてきたようだ。MRIの予約は医師が書いた申し込み表を放射線科受付まで持って行き、そこで日時がきまり、またその結果を聞くために、また脳外科の予約を取っていたのが、今回は担当医がパソコンでMRIのあいている日時を調べ、すぐ予約を入れて、予約表をプリントアウトしてくれる。仕事がぐーと増えたと話されていた。問診は丁寧に話を聞いてくれるし、パソコンはブラインドタッチ、とてもいい先生です。

また外来受付はベテラン看護師の担当だったのに、今回はすべて職員に変わっていた。
これで看護師の仕事が少し楽になったのかどうかは病棟へ行っていないのでよく分からないが、願わくば、普通の人間に天使でなければ勤まらないような勤務を強要する、非人間的な勤務体制が少しでも改善されたことを祈るばかりである。夜中に勤務していた看護婦が昼も勤務しているのにびっくり仰天したが、これが正常な勤務だった。まだ20代だというのに疲れ切った顔をしている。「大変だね」というと、「私たち若い者はなんとか耐えられるけどベテランの人たちはもっと大変でしょうね」という話を入院四五日目にしたことがある。心では泣き笑いしながらも黙々と過酷な勤務を果たす看護婦たちには、ただただ頭が下がるばかりであった。私に出来たことは、婦長以下18人の看護婦と2人の補助看、計21人の名前と顔を10年以上たった現在も覚えていることである。
そして私が、健康で長生きすることこそが彼女たちの看護に報いることだと思っている。

Photo_2