俳句

きょうの俳句「除夜の鐘」

除夜の鐘は人間の百八の煩悩を消し去るためというが、毎年撞くのは消し去ることができないからでしょう。煩悩を消し去る事が出来ないのが人間といえそうです。

どう聞いてみても恋なし除夜の鐘  岩間 乙二

除夜の鐘と恋の取り合わせが面白いです。普通の人には全くその通りと感じるのでは。
乙二は江戸時代後期の人で陸前(宮城県)白石の千住院住職。

除夜の鐘幾谷こゆる雪の闇  飯田 蛇笏(だこつ)

きょうはこうゆう除夜の鐘が全国各地で聞かれるのでしょうね。

サイモン・ラトルの「第九」を聞いています。名演奏です。今年も今日で終わり、個人的にも色々な忘れえぬ出来事がありました。政治の世界では政権交代が歴史的な出来事として記録されるでしょう。しかし民主党らしさが見えてくるのは「2011年度」からだと私は思っています。まあじっくりと見守っていきたいと思います。
例年だと大晦日に仏壇と神棚の掃除をして、子供達をつれてお墓参りに行くのがぱパターンでした。今年は27日墓参りをすませ、仏壇と神棚の掃除も29日に終わりました。余裕の大晦日です。では皆様良いお年をお迎え下さい。来年もよろしくお願いいたします。

戦前は高射砲陣地があり一般人は登ることが出来なかった稲佐山。
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きょうの俳句「忘年会」

姥(うば)ふえてしかも美女なし年忘  宝井 其角

其角(きかく)は、芭蕉の一番弟子、「夕すずみよくぞ男に生まれける」「名月や畳の上に松の影」という名句をものにしている。この句は女性から「ほっとけ」と苦情が出そうな句であるが男性優位の江戸時代である、美女を侍らして酒を飲みたいと思うのは男なら当たり前のことである。しかし忘年会となれば美女はいなくてもそんなことに関係なく年忘会は楽しいものである。と解釈しなければならい。しかし古句ながら現代に通用するところがおもしろかですね。

山人の忘年会は、ボウリングの会と小学校クラス会の幹事で開く忘年会の二回である。クラス会は五、六人で昼間に食事するだけであるが、ボウリングは職業、身分にまったく関係のない赤の他人だったものたちが和気藹々と団欒するのは楽いものである。今回は、幹事が「じゃんけん大会」といっていきなり「じゃんけん」を始めた。じゃんけんは、会社時代60人ぐらいの忘年会の余興「じゃんけん大会」で優勝して、スペイン製の天使の陶器(値段は数万)獲得したことがある山人である、13人ぐらいなら楽勝である。何が貰えるかと思ったら何と女装をさせられてしまった。70年をこえる生涯でこんな恥ずかしい思いをしたのは始めである。家に帰って両親の仏壇に涙ながらにお詫びをした次第である。

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十二月句会(21)

昨年暮、主宰が亡くなられ存亡の危機にあった我らが句会は、主宰夫人を新たな指導者として仰ぎ、会の運営進行は山人が引き継ぎなんとか納句会までこぎ着けた。大手術をして十ヶ月ほど休養された人も参加されて久しぶりに全員参加の楽しい句会となった。
兼題は「日記買う、日記果(は)つ」と十二月雑詠でした。

記すこともなき日もありて日記果つ 田鶴子

亡き夫の机辺そのまま年は行く   田鶴子(高点句) 机辺(きへん)

こもごもの言葉収めて日記果つ   路子

気掛りなことの終らず日記果つ   山人

過去は過去望み新たに日記買ふ   洋子

忌を修し師走心となりてゐし    洋子(山人特選句)

虚子の句碑出会う小春の一日かな  千代美

苦も楽も早や忘却の古暦      伯水

暮近し師の一周忌夢の内      寂水

点滴の落下ゆるやか日短      汀子

長崎市民会館横の銀杏並木(現在はもう散り尽くしてしまいました)
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諏訪神社、どんこ茶屋
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諏訪神社境内
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十一月句会(09)

今月の兼題は「返(帰)り花』、数年前の塩害のとき、葉が散り尽くした木が春が来たと間違えて春のように花を咲かせたことがありました。が今年は返り花はまだ見かけることがなく昔を思い出したりしながらの句作にみなさん苦労されたようでした。

 ひと日ひと日過ぎてゆくのみ帰り花  田鶴子

 ひと巡りして四キロの島小春     路子

 過疎進み廃校決まり返り花      山人

 嬰児の笑みてしかめて小春かな    洋子

 返り花空のきれいなひと日かな    千代美

 帰り花見んと思ふて丘登る      伯水

 病める身に優しさ見たり帰り花    寂水

 てふてふのとんでゆくさき返り花   汀子

昨年の暮に亡くなられた句会主宰の一周忌が菩提寺「大光寺」で催されました。句会進行を引き継いだ山人として師の偉大さを思い知るばかりであります。今や山人の父母、ほぼ全て鬼籍に入られた句友たちと俳句を楽しまれているかなと思いをはせるながら読経を聞き入りました。合掌!

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きょうの俳句「七五三」

 七五三の飴も袂もひきずりぬ  原田 種芽

 帯解の子の髪結うておとなしく  杉戸 乃ぼる

十一月十五日は七五三です。正確には「七五三の祝」を略した言い方。昔は三歳になって剃っていた子の髪を伸ばし始める儀式「髪置(かみおき)」。男子が五歳になって初めて袴をはく儀式「袴着(はかまぎ)」。女子は七歳まで着物を付け紐で着付けていたのが、初めて帯を結んで晴れ着を着る儀式「帯解(おびとき)」が現在の七五三となったといわれる。
江戸時代から盛んになったようで俳諧でもよく詠まれていました。

 かみ置やうしろ姿もみせ歩く  炭 太祇

 袴着や子の草履とる親ごゝろ  小西 来山


我が家のピーチ姫(黄疸中)、ピーピーとよく泣いています。
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きょうの俳句「冬隣」

 母となる吾母と居て冬隣  大高 翔

季題・冬隣(明日7日は立冬、暦の上では冬に入ります)

ちょうど山人の末娘がこの句にピッタシカンカンでした。そして昨日、無事女の子の母親となりました。

妻、長女、次女とみんな難産だったのに、この娘は分娩室に入って40分ぐらいで生まれるという安産でした。

末っ子だからかなり甘やかして育てたので、出産の痛みに耐えられのかと心配していた が、我慢強い姉たちに負けまいと思ったのか、根性を出したようで看護師からよく頑張ったと褒められたそうだ。

赤ん坊の初体験、検温を尻からされたのだが何とも不快そうな顔をして眉をしかめたのには大笑いだった。

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09・十月句会

独り居の暮し身につき大根煮る  田鶴子

退きし町医の住居萩白し     路子

一人居の家の灯らず暮の秋    山人

身に入むや返す言葉を選びつつ  洋子

身に入むや母の形見の羽織着て  千代美

身にしむや妻退院の祝い酒    伯水

秋遍路行きてみたしとふと思ひ  寂水

身にしむや遺愛の茶器の浅き瑕  汀子

十月の兼題は「身に入(し)む」と晩秋雑詠でした。「身に入む」は各人の感じ方の違いが選句に表れました。

私の 時の立つ早さ身に入む齢かな はまあまあのできと思っていたのに無点句でした。

俳句の知識はあっても、句作の才能のなさに落ち込むことしばしばでござりまする。

俳句と関係ありません。

飛行雲

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天草

Sakanaturi

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きょうの一句「秋の川」

 

 石投げて少年離る秋の川  小合 千絵女

眼鏡橋がある中島川沿いは山人の散歩道である。川には鯉が泳ぎ、亀が甲羅を干し、いつも百円アイス売りが二人いる。時折修学旅行生から眼鏡橋を背景に写真を頼まれたりする。

少年時代は家庭の汚水が流れ込みどぶ川の様相をしていたが、今や家庭の水洗化がすすみ鮎らしい魚影がきらきら光るのも見られる。また石垣には愛の「ハート石」があり修学旅行の女子高生が石の前で写真を撮ったり撮られたりしている。

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さてこの愛の「ハート石」はどこにあるのかな?

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きょうの俳句「体育の日」

万歩計先ず買ひに行く体育日  山田 節子

(1964年東京オリンピック大会開会式の日を記念して1966年に設定されていたが、2000年から10月の第二月曜日になった)

当地ではこの日市民体育祭が開催される。現役の時卓球(シングルス)に参加したが一回戦で審判をしていた役員と当たりダブルスコアで負けてしまった。

退職後はテニス(ダブルス)に参加していたがくじ運が悪くCクラスで二回戦止まりだった。自分では体育会系と思っているが今は昔の話である。

あばら雲?
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きょうの俳句 (十六夜)

 十六夜や鯨来初めし熊野浦  与謝 蕪村

雄大な景、説明はいらないでしょう。

熊野灘(三重県志摩半島の大王崎から和歌山県潮岬にいたる海域)

昨夜の名月は見事でしたね。デジカメのオートで撮ったものの真っ白けで月の影が撮れません。手動に替えて悪戦苦闘、何とか撮ることが出来ました。オートは意外に不便でした。今夜は十六夜ですが、天文学的に云えば今夜が満月、昨夜より月は丸く見えます。

季題・十六夜(いざよい、いざよひ)、陰暦8月16日の月、いざよいはためらう、ぐずぐ ずするの意。十五夜よりためらうように少し遅く出てくることからの意。

また十七夜を「立待月・たちまちづき」、立って待っていれば出てくる。

十八夜を「居待月・いまちづき」月の出がより遅くなるので縁側などで座って待つ。

十九夜を「臥待月・ふしまちづき、寝待月」寝て待つ。

二十夜を「更待月・ふけまちづき」夜が更けた頃にでる。などなどと月をとことん楽しむのは日本だけの風習のようです。なんとも風流ですな。

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