日記・コラム・つぶやき

2017年10月14日 (土)

カズオ・イシグロ

ノーベル文学賞 「カズオ・イシグロ」

ノーベル文学賞を日本人で英国国籍の「カズオ・イシグロ」が受賞したという嬉しいニュースが飛び交いましたね。 十数年前、妻・友人夫婦と見た、アンソニー・ホプキンス主演映画「日の名残り」の原作者が日本人カズオ・イシグロだとは知ってはいたが、彼が長崎市出身であることは知りませんでした。而も彼が住んでいたという生家は、なんと我家から100メートル位しか離れていない。 その上彼が卒園した市立桜ケ丘幼稚園(2012年閉園)は、私も通った名門幼稚園である。 ノーベル賞受賞者が幼稚園の後輩であると思うと、何ともいえない喜びがこみ上げてくる。 まだあるよ、孫娘の形見、愛犬「茶々」のホームドクター「長崎動物病院」藤原院長がカズオ・イシグロと従弟同士というので取材の模様が放映されていました。 
先日、フィラリアの薬貰いに行った時、院長とぱったり出会い「今日は」と挨拶を交わし、 私が「イシグロさんと同じ幼稚園ですよ」というと、院長も「私も桜ヶ丘幼稚園ですよ」と話が盛り上がったのである。
ノーベル文学賞受賞者が、ご近所、同じ幼稚園、愛犬のドクターが従兄弟となると一層テンションが上がる。 彼は5歳の時渡英したそうだが、せめて中学まで居てくれたら私たちの先輩になったのにね、と娘達が残念がっていました。
また、2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩氏は両親が長崎県人、そして旧制諫早中学、長崎大学薬学部出身であり、諫早で被爆されているしで、故郷は長崎だと講演会で話されている。長崎県から二人のノーベル賞受賞者が産まれたのは長崎県民の誇りであるし、政治の世界では腹立つことばかりなのに、久しぶりに精神が高揚し且つ心のやすらぎを覚えた次第であります(^o^)

2016年8月22日 (月)

カナブン

「おじちゃんスゴカね!」
若い母親が6歳ぐらいの男の子にこういうと、男の子もうんうんとうなずいた。おじちゃんとは俺のことである。八十に近い人生で「おじちゃん、スゴカね!」と云われたのは初めてのことである。
週に一度か二度耳鼻科に通っている。耳鳴りがひどいので、血流をよくするために20分間酸素吸入を受けている。「じー」という音が少し低くなってきたので効果はあっているようだ。
耳鼻科の自動ドアが開くと正面が受付である。すぐ右側が待合室になっている。12時近くだったので患者はいないと思っていたら、十人ぐらいの患者がいる。一番奥に一席空いていたのでそこに座ろうと思って行きかけると、全員が俺を「じとー」と見ている。「えー何でみんな俺を注目するんだ」と思いながら席に座ると、横にいた60年配の男性が「背中にカナブンが止まっていますよ」と言って指で背中をはじくと、ブーンと飛び立ったカナブンが左側の窓のカーテンに止まった。カーテンの側の人達が「うわーと」いうように身をそらした。多分自動ドアが開いた時、ブーンと音がしたのでその時止まったのであろう。カナブンの下のおばさん達が不安そうな顔をして見上げている。
このカナブンは俺が連れて来たのだから自分が始末しなければなるまいと思い、立ち上がってカナブンを掴み、歩き出したが、途中に若い母親と6歳ぐらいと三歳ぐらいの男の子がいたから、「あげようかと」と言ってカナブンを差し出すと、男の子はびっくり仰天、身をそらして手と首を振りながらいやいやをした。それで自動ドアの前に行きドアが開いたので、カナブンを放すと嬉しそうにブーンと飛んでいった。席に戻り、隣の男性に「あーどうも」と言ったら、「いえ」と会釈された。これで一件落着、と思ったらその若い母親がほとほと感心したように男の子に「おじちゃん、 スゴカね!」というと男の子たちも「うんうん」とうなずいたのである。
カナブンを掴んだぐらいで「スゴカね」と言われてもね、「うーん」という感じだが79歳の老人を「おじちゃん、スゴカね!」と言って私にほんわかした喜びを与えてくれた、若くて美しいお母さんに「乾杯!」をしたのである。
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『初盆』
昨年24歳で亡くなった孫娘の初盆を家族だけでしめやかにとりおこないました
玄関に迎え灯籠を吊す

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仏間に廻り灯籠

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仏壇にはお料具膳を三日間供える

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14日、友人のホームドクターご夫妻がお参りに来て下さいました

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長崎のお墓では竹線香を使う。捨てるのが簡単、またお盆の供花は鬼灯(ほうずき)を活ける。

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お墓でも灯籠を灯します

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手花火を命継ぐごと燃やすなり  石田 波郷

長崎ではお墓で子供も大人も花火をして故人の偲びます

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14日大阪から最終便で来る予定だった孫の彼氏、欠航のため15日の朝お参りにやって来ました。お墓参りの帰り精霊流しを見に行き、来年は精霊船が流されるところまで見に行きたいと言っていました。

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葬祭社の精霊船

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2012年8月 9日 (木)

長崎原爆の日

長崎原爆の日

67回目の長崎原爆の日、11時に防災無線が「11時2分」に黙祷しましょうと呼びかけをします。やがて11時2分サイレンが鳴り、妻と二人祈りの黙祷をしました。
未だ核兵器廃絶の道筋は見えないが、今年はアメリカのルース大使が初めて出席し、原爆投下を命じたトルーマン大統領の孫と、原爆を投下した「B29」のレーダー士の孫も参加しました。謝罪の言葉はなかったものの、原爆投下を肯定する言葉はありませんでした。核兵器廃絶の道にほんの少しだけ明かりが灯ったのかなという思いがしました。


ヒバクシャと国際語となり原爆忌  宮田えき女

帰り来ぬ子の年数へ原爆忌  宮田えき女

五十路越すケロイドの娘に原爆忌  宮田えき女 (今はこの娘も多分七十路)


『長崎平和宣言』

 人間は愚かにも戦争をくりかえしてきました。しかし、たとえ戦争であっても許されない行為があります。現在では、子どもや母親、市民、傷ついた兵士や捕虜を殺傷することは「国際人道法」で犯罪とされます。毒ガス、細菌兵器、対人地雷など人間に無差別に苦しみを与え、環境に深刻な損害を与える兵器も「非人道的兵器」として明確に禁止されています。
 1945年8月9日午前11時2分、アメリカの爆撃機によって長崎に一発の原子爆弾が投下されました。人間は熱線で黒焦げになり、鉄のレールも折れ曲がるほどの爆風で体が引き裂かれました。皮膚が垂れ下がった裸の人々。頭をもがれた赤ちゃんを抱く母親。元気そうにみえた人々も次々に死んでいきました。その年のうちに約7万4千人の方が亡くなり、約7万5千人の方が負傷しました。生き残った人々も放射線の影響で年齢を重ねるにつれて、がんなどの発病率が高くなり、被爆者の不安は今も消えることはありません。
 無差別に、これほどむごく人の命を奪い、長年にわたり人を苦しめ続ける核兵器がなぜいまだに禁止されていないのでしょうか。
  昨年11月、戦争の悲惨さを長く見つめてきた国際赤十字・赤新月運動が人道的な立場から「核兵器廃絶へ向かって進む」という決議を行いました。今年5月、ウィーンで開催された「核不拡散条約(NPT)再検討会議」準備委員会では、多くの国が核兵器の非人道性に言及し、16か国が「核軍縮の人道的側面に関する共同声明」を発表しました。今ようやく、核兵器を非人道的兵器に位置付けようとする声が高まりつつあります。それはこれまで被爆地が声の限り叫び続けてきたことでもあります。

 しかし、現実はどうでしょうか。
 世界には今も1万9千発の核兵器が存在しています。地球に住む私たちは数分で核戦争が始まるかもしれない危険性の中で生きています。広島、長崎に落とされた原子爆弾よりもはるかに凄まじい破壊力を持つ核兵器が使われた時、人類はいったいどうなるのでしょうか。
 長崎を核兵器で攻撃された最後の都市にするためには、核兵器による攻撃はもちろん、開発から配備にいたるまですべてを明確に禁止しなければなりません。「核不拡散条約(NPT)」を越える新たな仕組みが求められています。そして、すでに私たちはその方法を見いだしています。
 その一つが「核兵器禁止条約(NWC)」です。2008年には国連の潘基文事務総長がその必要性を訴え、2010年の「核不拡散条約(NPT)再検討会議」の最終文書でも初めて言及されました。今こそ、国際社会はその締結に向けて具体的な一歩を踏み出すべきです。
 「非核兵器地帯」の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年は中東非核兵器地帯の創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも「北東アジア非核兵器地帯」への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮すべきです。
 今年4月、長崎大学に念願の「核兵器廃絶研究センター(RECNA)」が開設されました。「核兵器のない世界」を実現するための情報や提案を発信し、ネットワークを広げる拠点となる組織です。「RECNA」の設立を機に、私たちはより一層力強く被爆地の使命を果たしていく決意です。

 核兵器のない世界を実現するためには、次世代への働きかけが重要です。明日から日本政府と国連大学が共催して「軍縮・不拡散教育グローバル・フォーラム」がここ長崎で始まります。
 核兵器は他国への不信感と恐怖、そして力による支配という考えから生まれました。次の世代がそれとは逆に相互の信頼と安心感、そして共生という考えに基づいて社会をつくり動かすことができるように、長崎は平和教育と国際理解教育にも力を注いでいきます。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は世界を震撼させました。福島で放射能の不安に脅える日々が今も続いていることに私たちは心を痛めています。長崎市民はこれからも福島に寄り添い、応援し続けます。日本政府は被災地の復興を急ぐとともに、放射能に脅かされることのない社会を再構築するための新しいエネルギー政策の目標と、そこに至る明確な具体策を示してください。原子力発電所が稼働するなかで貯め込んだ膨大な量の高レベル放射性廃棄物の処分も先送りできない課題です。国際社会はその解決に協力して取り組むべきです。

 被爆者の平均年齢は77歳を超えました。政府は、今一度、被爆により苦しんでいる方たちの声に真摯に耳を傾け、援護政策のさらなる充実に努力してください。
 原子爆弾により命を奪われた方々に哀悼の意を表するとともに、今後とも広島市、そして同じ思いを持つ世界の人たちと協力して核兵器廃絶に取り組んでいくことをここに宣言します。
2012年(平成24年)8月9日

長崎市長 田上 富久


長崎放送の報道記者だった故伊藤明彦氏が生涯をかけて収録した『被爆者の声』
http://www.geocities.jp/s20hibaku/ 

2012年7月18日 (水)

祝・小沢新党・国民の政治が第一

祝・小沢新党「国民の生活が第一」

16日の長崎新聞の一面トップ記事が

[小沢新党 81% 期待せず] という大見出し。

共同通信社が14日、15日に実施した全国電話世論操査の結果である。
マスゴミ共闘による世論操作の一環だから 「期待せず」 が99%でも拙者は驚かない。世の中には「小沢一郎」を信じる「小沢党」が2割ぐらいいるという。拙者もその一人である。「小沢一郎」がぶれることがないように、「小沢党」もぶれることがない。
「民主党を出て新党を立ち上げよ」が小沢党の願いだったから、万歳三唱である。
これで政治が分かりやすくなり政治家の本質、敵味方がはっきりと分かるようになってきた。最近ぶれにぶれまくっている「橋下徹」大阪市長は端から信用されていなかったし、優柔不断の鳩山由紀夫氏はぼろくそである。然しそんなこたあどうでもいいのであって、ネットのアンケート調査でこれまでの「支持政党無し」から「国民の生活が第一」にチェックを入れることが何とも喜ばしいのである。

拙者の座右の書「菜根譚」(岩波文庫)四章にこうある。

権勢名利や豪奢華美のたぐいに、近づかないように心がける者は潔白な人である。然し
それらに近づいても、その悪習に感染しない者こそ、最も潔白な人物である。
権謀術数のたぐいを、全く知らない者は高尚な人である。然しそれを知っていても、自分では用いない者こそ、最も高尚な人物である。

濁流に流されながら溺れることもなく、岸に這い上がった「小沢一郎」という男は近来希に見る偉大な政治家と拙者は堅く信じているのである。

阿蘇・大観峰より(小学校のクラス会)

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菊池渓谷

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2011年7月16日 (土)

九州のB型

週二回、卓球(ラージボール)をしている。メンバー11人の内、B型9人、A型1人、O型1人。「ハイビスカス」というしゃれた名を持つクラブだが、別称「B型クラブ」ともいわれている。ただ平均年齢が70歳を超えたので故障者が多いという問題があるが、それ以外のトラブルは全くない。女性同士だと必ず「あん人が嫌い」という問題が必ず起きるのだがそういう人は辞めてしまったので今や和気藹々の仲良しクラブである。

また毎月例会を開いているボウリングクラブに夫婦で加入してもう十年を超える。成績は毎月ぶっつけ本番なのでアベレージは「130~140」台を行ったりきたり、もうブログに書く気も失せてしまった。先月久しぶりに「194」が出て2位なったぐらいである。
このクラブは普段のつきあいは全くないが、夏のビアパーティと十二月の忘年会は必須である。今年のビアパーティはつい最近橋が架かり温泉にも入れる長崎港外の「伊王島」になった。生ビールを飲みながらバイキング料理を楽しもというわけである。架橋されたので車で行く人が多いとみえ、船はすいていたのに広いホテルのバイキング会場は満席だった。生ビール飲みながらわいわいがやがやとやっていたら、九州生まれのB型人間の話になった。全くもって「けしくりからん」という話から、ところで「Aさんは几帳面だからA型、BさんはO型だろう」という話になった。すると意外や意外、AさんもBさん共にB型という。何々!「ではあんたは何型ね」言うことになり、参加者10人の内B型7人、AB型3人という珍しい結果が分かった。
日本人の血液型はA型40%、O型30%、B型20%、AB型10%だから難しい確率である。
(ちなみに世界ではO型が一番多い)。
さて意外な結果に皆の衆、親しみが大いに増して空のジョッキが連立するという盛り上がりとなった。食事後、カラオケに行こうということになり普段は歌わない山人も二曲を歌い久しぶりに英気を養うことが出来た。山人の周りにいる九州のB型人間はみんな良い人ばかりでござる。

香焼から伊王島への架橋
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赤いドックは三菱重工業香焼造船所の100万トンドック18101

2011年4月14日 (木)

花吹雪

長崎は今花吹雪である。

散り急ぐ花にこころがあるごとく  岡部 蕉露

十数年ぶりに花見に行った。桜の写真取りに行くことはあっても弁当持参の花見に行くことはなかった。
前回は私が脳腫瘍の診断を受け入院待ちの時、長男がこれが最後と思ったのか、後にも先にもこれ一回の花見に誘ってくれた。長男夫婦に十ヶ月の孫(この孫も今年高校生である)、妻と高校生の末娘と六人で行った。もしかするとこれが見納めになるから心にしみ入る花見になったかというと、そうではない。現実はドラマのようにはいかず何ともむなしい心が晴れない花見でした。それでも隣席の嬰児の所へ孫娘がごそごそと這っていき、手を取り合っているのをみて、
「知らぬ子とすぐに仲良し花筵」という句を詠んだが、
しかし妻の「入院を控え寡黙の夫花見」には完敗でしたね。

さてその時花見に行った娘の婿が実家へ里帰りしたので、泊まりに来ていた娘が花見に行こうという。それで竜馬像がある「風頭公園」へ行くことにした。頂上にあるホテル「矢太楼」までバスが行くし、足場がいいのでピーチ姫も歩ける。例年だと日曜は公園の特設会場で歌に踊りと大賑わいなのに「東日本大震災」に配慮したのか閑散としていた。
ただ始めての花見にピーチ姫は抱っことも言わずに始終ご機嫌でした。おにぎりに降りかかる花びらを取りながら久しぶりに家族団欒の一時を過ごすことができた。

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海を眺める坂本竜馬像
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ご機嫌なピーチ姫
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2011年3月23日 (水)

彼岸

24日は彼岸明けである。春、秋の彼岸には必ず墓参りに行く。今年は妻と末娘と一歳四ヶ月の孫娘を連れていった。彼岸入りと中日(春分の日)には菩提寺でお経が上がる。七十を過ぎてから、そのお経も聞きに行くようになった。50分ぐらい四人の坊さんが読経する。お経は全く分からないので、その間諸々の故人を偲ぶ。父、母、姉、私とふれあった人々、そして今回の東日本大震災で亡くなられた人達、地震が発生する直前まで自分が死ぬことなど全く眼中に無かっただろうにと。また地震津波は想定外の天災であっても、現在の福島原発の状態は想定内の出来事であり、絶対に人災である、想定外の地震津波が原因ということ自体が人災ではないか、などと思いは尽きない。お経が終わって、住職の挨拶があり東日本大震災の犠牲者のために黙祷と、原発の消火活動にまるで特攻隊のように命をかけて闘っている日立、東芝、東電関係者、自衛隊、消防隊員、警察の方々への感謝と無事をお祈りして終わった。
「暑さ寒さも彼岸まで」というが、異常気象が異常でなくなってきた昨今である。今の外気は6度。明日も寒いという予報がが出ている。

ピーチ姫は好奇心旺盛、掃除大好きである。
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2011年3月17日 (木)

卒業式と東日本大震災

15日、八才まで同居していた孫娘の中学卒業式だった。我が母校であり4人の子供達の母校でもある。まず式の始まる前に「東日本大震災」の犠牲者の 方々に全員が黙祷をして卒業式が始まった。在校生の「蛍の光」、山人の大好きな曲「仰げば尊し」を卒業生が唄った。そのほかに国歌、校歌、在校生の送る 歌、卒業生の返す歌、合唱コンクール唄など来賓の長々とした挨拶などがない規律正しい爽やかな卒業式でした。そしてこの孫はまた我が母校である名門E高校 に合格した。中学時代「オーケストラ部」で活躍し、高校でも連続20年近く「金賞」を獲得している「ブラスバンド部」に入部するという目的を持っている。 11日以来胸の痛むニューが続いている中での胸が晴れる出来事だった。

東京の娘と連日電話連絡しているが、相変わらず近くのコンビニ、スーパーは夕方行っても食料品は何もなく、まだおむつが取れていない二歳の子の紙お むつも手に入らないとこぼしていた。バイク通勤している夫はガソリンが無く乗用車から抜き取ってしのいでいるいうことだ。買い占めが起きているのだろうが 行政側の「買い占めなくても大丈夫だ」というPRを徹底すべきであろう。我が家でも妻が段ボール一箱の救援物資を送っていた。

14日から途絶えて いた「ローカルニュース」が始まった。長崎大水害や雲仙普賢岳火砕流などの大災害に経験がある長崎県である。13日(日)には給水車や消防レスキュー隊、 チェルノブイリ原発事故の放射線治療に経験がある医療隊などが次々と出発。また救援物資を満載した船舶の出航なども放送されていた。問題は受け入れ先に総 合対策本部がありそこでスムースな対応が取られているのかが心配であった。
17日の長崎新聞によると
『支援物資を満載した大型船「清龍丸」(4792㌧)が岩手県釜石市に接岸。ところが、被災地に運び込むトラックが港に来ない。
国「トラックは県が手配するはずだった」
県「手配は承知していなかった」
市「入港の正確な時間を把握できなかった」
結局「船は被災者への食品1800食分、水1800㍑などを積んで停泊したままだ」
「救援物資が届かないのはコントロールタワーが欠けているから」日本経団連の米倉弘昌会長はこの日、あからさまに政府を批判した』

未曾有の天災に人災がはくしゃをかけている。

桜桃が満開

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一歳の孫が生まれた記念の桃が花をつけました

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2011年3月13日 (日)

東日本大震災

「東日本大震災」の犠牲者並びに被災者の方々に、心よりお悔やみと、お見舞いを申し上げます。

東京都大田区で保育士をしている次女がいるので当日夜に電話をしたが通じない。大阪にいる長女から電話があり仕事中に「目眩がする」と同僚にいうと同僚も「私も」というので、これは地震だという事が分かったという。関東以西の情報がほとんど無かったので地震の規模の大きさが分かる。
12日(土)、次女と電話がつながった。当時保育園では園児が昼寝から覚めかけた頃でまだ寝ぼけている子が多くて、泣き出す子はいてもパニックになる子はいなかったという。そして流石東京である、厚手の防災頭巾が完備しており、すぐ園児全員に頭巾を附けたということだった。
東京へ行って20年近くになるがこんな大きな地震は初めての体験だという。縦揺れではなく横揺れ地震と言っていたが、何分か「ぐらりぐらり」と揺れた後、断続的な余震が一時間近く続き、最後は船酔いみたいな状態になり吐きそうになるほど気分が悪くなったそうだ。
小一と二歳の男の子がいるので6時には帰して貰えたが、独身の先生は迎えに来る事が出来ない親のため泊まり込みになったかもということだった。
小一の子は学校が終り近くの図書館にある「学童保育」へ行く途中で友達と一緒だったので「なんだかふらふらするな」というようなことを話しながら学童まで無事辿り着き、一方二歳児は園の先生に抱かれて泣き通し、6時過ぎに帰ったときもまだ泣き叫んでいたそうだ。夕食後やはり疲れたのか二人共食卓テーブルの下で眠ってしまったそうだ。翌日近所のコンビニに買い物に行くと食料品が完売で何もも無く、マックへ行っても冷凍のポテトぐらいでバーガーは完売だったいうことだった。
地震の時は逃げ道を常に考えておくように言ったことがあるが、これからは真剣に考えることであろう。

2011年3月 4日 (金)

ひなまつり

雪洞を消せば雛(ひいな)も子も眠る 小野ひさし

人見知りが激しく私が抱っこすると泣き叫んでいた「ピーチ姫」もいまや抱っこしてと来るし、大人の足で3分ぐらいの所から我が家に私と手をつないで歩いてくるまでになっていた。しかしつい最近、生活苦のために電車とバスで一時間以上はかかる所に引っ越してしまった。駐車代込みで3万近く安くなるのでやむを得ない。昨日は妻が「ちらし寿司」を作り、雲仙市からやってきた婿の両親と雛祭をしたそうだ。拙者はラージボールチーム(卓球)の責任者だしコーチもしているので行くことが出来なかった。最近毎日のように我が家に来て遊んでいた「ピーチ姫」も爺婆が恋しくて機嫌が悪かったそうだが、昨日は上機嫌でちらし寿司をぱくぱく食べていたそうだ。昼寝もしなくてはしゃいでた「ピーチ姫」が夕方になり眠りにつき妻達は帰途についたということだった。これからは週一は訪ねていかねばなるまいて。

古民家の縁先しめて時代雛 曽根秀子

柳川藩主立花家別邸「御花」にある「ひなかざり」
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0791

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ピーチ姫
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