旅行・地域

2012年4月30日 (月)

長崎帆船まつり(2012) パラダ船上スナップ

長崎帆船まつり(2012) パラダ船上スナップ

毎年おなじみのロシア帆船「パラダ」は、入港パレードの時、船員が各帆桁に捉まってくるので、遠くから見るとまるで鴉が止まっているように見える。そのパラダが一般公開していたのでしめしめと思い乗船した。その時のスナップ。

パラダ PALLADA。全長 108,6m。全幅 14m。マスト高 49,5m。総トン数 2,987t
結構大きい帆船である。
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水辺の森公園を見下ろす (並んでいる人は乗船待ちの人達)
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舳(へさき)
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操舵輪

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メインマスト
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長崎港遊覧の観光丸(復元船) 船賃千円
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女神大橋の下を行く観光丸、先に三菱香焼造船所が見える
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下甲板

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上甲板と下甲板

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乗組員と歓談(イズヴィニーチェ グヂェとかなんと?)

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救命ボート(ヤマハ発動機だ)

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寄港地と参加したイベント名らしい

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春愁?

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2012年4月29日 (日)

長崎帆船まつり(2012)・セイルドリル

長崎帆船まつり(2012)・セイルドリル

帆船祭り会場の「水辺の森公園」にいくと「日本丸」のセイルドリル(帆船が帆を揚げてまたたたむ)中で帆をたたむ作業に入ったところだった。

水辺の森公園
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パラダ号の船上から
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長崎帆船まつり(2012)

長崎帆船まつり(2012)
毎年、この時期恒例の長崎帆船まつり(昨年は東北大震災のため7月の港祭りに行われた)にでかけた。電車に乗ると途中から外人が三々五々と乗り込んでくる。英語に、聞いたことがない言葉でぺちゃくちゃしゃべっている。クルーズ船が入港したのだと思い、下車する「大浦海岸通り」につくと巨大な客船が目に飛び込んでくる。見覚えがあるぞ、長崎三菱造船所で建造された「ダイヤモンド・プリンセス」号だった。全長「290m」、全幅「41.5m」、総トン数「115,875t」という巨大客船である。港町に生まれ育ったものとして見飽きることがない。帆船はそっちのけでぱちぱちと写真を撮りまくった。続く。

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でかい!
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「女神大橋」の下をくぐり抜けてくる
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一般公開中だったロシアの帆船「パラダ」号の船上から

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2012年4月 5日 (木)

港が見える丘

「港が見える丘」

1 あなたと二人で来た丘は
  港が見える丘
  色あせた桜唯一つ
  淋しく咲いていた
  船の汽笛咽(むせ)び泣けば
  チラリホラリと花片(はなびら)
  あなたと私に降りかかる
  春の午後でした

作詞・作曲:東辰三、唄:平野愛子

少年時代「あなたっとふたっりできたっおかあわ みなとっがみえるおか…」とよく歌っていたが、この丘は長崎の風頭山(かざがしら)がこの舞台だと永らく信じていた。

1日、朝から町内会の決算書を作成していたところに、外出から帰ってきた妻が、花見に行かないかという。では一つ気晴らしに行くかと、コンビニでおにぎりとお茶を買い近所のバス停から10分ぐらいで着く、港が見える丘「風頭公園」へ出掛けた。靄が少しかかっていたが風もほとんどない好天気に気分爽快、屋台などの出店がない分ゆったりと八分咲きの桜を観賞できた。長崎はほんとによかとかばい。

港が見える丘
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港を眺める竜馬像
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東京から来た小二の孫が長崎はどうして山の上まで家が在るんだと不思議がっていた。
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2011年8月19日 (金)

雨の盂蘭盆

新盆やあきらめられぬ子を想ふ  増村 雅子

盂蘭盆に父似母似の子等集ふ  春原 幸子

七十年の人生でお盆の8月14日、15日に通り雨のよう雨が降ることがあっても、二日間断続的に激しい雨が降り続いたという記憶は全くない。毎日朝 晩「般若心経」を唱えているし墓参りは止めようと思ったが妻がやっぱり行こうというので、14日雨の切れ目夕方6時過ぎ妻と娘と子の四人で行く。線香を上 げたところでまた雨が降り出しすぐ引き上げる。例年だと盆燈籠が灯り花火が彩る賑やかなお墓もがらんとしていた。

15日は民謡『長崎ぶらぶら節』で 「長崎名物 紙蔦揚げ〈はたあげ〉盆祭り 秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶらぶら ぶらりぶらりと言うたもんだいちゅう」。と歌われる盆祭り「精霊流し」が行われるが、また朝から激しい雨が断続的に降る。
夕 方六時頃雨が止んだので、三女一家三人とお墓に行く。そして帰京する次女の婿を空港まで見送りに行った長男と次女一家三人をお墓で待ち合わせする。辺りは まだ四五軒程残って花火をしている。7時すぎに花火を買って来た一行とお参りを済ます。既に雨がぽつぽつしていたが、ここで土砂降りとなる。もう花火の段 ではない。残っていた人たちもさっさと引き上げる。残っているのは我一家のみ、止みそうもないので這う這うの体で引き上げる。途中であった精霊船もすべて 停泊中であった。(8時過ぎ雨は小止みになり精霊流しは再開された)これは日本の政治の現状に神がお怒りになっているのかなと思った次第である。

長崎の各町内では精霊船を出す。これを催合船(もやいぶね・舳に町の名前がある)という。初盆で精霊船を出さないところは町内の精霊船に故人の写真 や燈籠をかざり送り出してもらう。我が町内では担ぎ手も居ないしお金もないので、軽トラックの荷台に精霊船と同じ飾り付けをして精霊船の代行としている。 車の前では花火を揚げ、また町内の各人が「志」を持って集まって来る。五百円から五千円ぐらい、初盆の所は1万から3万ぐらい。例年10万ぐらい集まる。 会計の私がそのお金を預かるので15日の夜は現場にいなくてはならない。車の飾り付けに10万ぐらいかかるのでとんとんというところである。今年は初盆が 多かったので18万ぐらい「志」があつまった。出発の午後9時には町内会長の挨拶があり、チャンコンと銅鑼が鳴り、車は警笛を鳴らし、50人ぐらいの人が 見送る中で車は出発する。これでお盆は終わりとなる。

ふるさとは遠のくばかり盆の月  山本 瓜塔

子を生みに帰るふるさと盆の月  三輪 浅茅

8月句会の兼題は「盆の月」。今年の8月14日が陰暦の7月15日、満月を見上げながらの盂蘭盆だからさぞや名句が出来るものと大いに期待したの に、あいにくの無月である。未だに一句も出来ない。そして18日迄晴天の日がなくまるで梅雨の延長である。それで涼しければよいが気温は連日32度あるか ら蒸し暑い。東京の娘も暑い暑いとこぼしている。異常気象が異常でなくなってきた昨今、又何かが起こらねばよいがと思った次第であります。

14日、午後7時頃のお墓

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まだ百日紅が咲いていた

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2011年3月26日 (土)

遠方の朋より個展の案内

 昨秋古里で余生を過ごしたいという念願が叶い、実家に近い山鹿市で温泉付き一軒家に居住している友人のY画伯から個展を開くので泊まりがけで来ないかという案内が来ました。場所は菊池神社の近くにある「チムチム」というカフェ喫茶店の二階画廊だという。
足がないので卓球のため週二回我が家に来ている妻の弟に誘いをかけると、OKOK! Yさんも快諾してくれたので、早速義弟の車で妻と彼岸明けの24日、菊池神社を目指し朝10時出発、有明フェリー(多以良ー長洲)経由で二時前に無事到着。画廊はモダンジャズが流れる感じの良いカフェの二階にあった。そこでサンドイッチとコーヒーで遅めの昼食を取り、芸術作品を談笑しながらゆっくりと鑑賞する。Yさんの地元なので知人の訪れが多い。もう九十近い恩師の奥様もお見えになっていた。芸術を堪能の後、桜の名所でもある菊池神社界隈を逍遙する。寒さが厳しかったせいかまだ四五分咲きという状態、来週が見頃であろう。
五時になり念願の「Y」温泉へ出発。社会的地位が高かったYさんだが偉ぶったところが全くないので、初対面の義弟ともすぐに打解ける。一休みしたあと近くの空き地を兎が跳ね回る界隈を三十分ほど散策する。それからYさんのタラの芽やタマネギの天ぷらという心のこもった手作りの料理に舌鼓をうった。食事の後は念願の温泉である。Yさんから「奥さんとご一緒に」といわれたが妻は「いや一人でゆっくりとくつろぎたい」と断固拒否。というわけで一人一人のんびりと温泉を楽しみ、Yさんの球磨焼酎のピッチもゆるやかになった12時頃お開きとなった。
翌日はYさんご自慢の里芋など野菜たっぷりの味噌汁をご馳走になり、個展会場へ行き、昼過ぎに帰崎の途につき無事に家に辿り着くことができた。
Yさんお世話になりなり有り難うございました。車はホンダの軽だったが最近の軽自動車の性能が良いことに感心すると共にドライバーを務めてくれた「やっさん」お疲れ様でした。
震災の被災者を思うと申し訳ない気持ちで一杯になるが、個人的には義援金を送る以外何も出来ないが残念である。

  個展会場・カフェギャラリー「~4/3(日) 9:00~23:00」
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近くの公園にある南朝軍の十五代「菊池武光」公の勇姿

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まだ四、五分咲きの菊池神社の参道
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人影のない菊池神社
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Y 温泉近郷
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空き地にいた兎
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2010年10月 3日 (日)

温泉旅行(山鹿)?

友人のY画伯は熊本県菊池市に生家がある。古稀を過ぎ余生は故郷で暮らしたいと常々話されていたが、八月に菊池市に隣接する山鹿市に温泉付きの一戸建て住宅を借りることが出来たと聞かされた。温泉付きとはいかなる家かと興味津々でいたら、日帰りでもとお誘いがかかった。早速秋晴れの爽やかな一日に「Y」温泉への旅に出掛けた。

 途中熊本県菊水町にある国指定史跡「江田船山古墳」(ここから出土した92点は国宝として東京国立博物館に保管展示されている)に寄り、園内にある「そばやもくあみ」で、会津産の蕎麦粉を使っているという蕎麦(腰があり少し甘みがある)を食べ、しばらく園内をゆっくりと散策して古代ロマンを味わった。それから山鹿市の名水百選にある名水を取水したり、Yさんの生家を訪れ夕食を補給したりして5時過ぎに「Y」温泉に到着した。「Y」温泉は眼前にのどかな田園風景が広がり、心を癒すにはもってこいのロケーションであった。2LDKだが二人暮らしには充分であり、うらやましい限りであった。

疲れたので一泊することになり、夕食はYさんが近くの川で釣った鮠(ハヤ)の甘露煮でビールを酌み交わし、念願の温泉にゆったりとひたることが出来た。山鹿温泉は無味無臭の単純泉、肌はヌルヌルになり、保湿効果は抜群である。肌がつるつるになり家に帰っても、妻から肌が若返ったと言われた。心臓が悪い山人は温泉は苦手なのだが、温度調節が出来る「Y」温泉は何十分でも入ることが出来る、久しぶりに命の洗濯が出来た。温泉付きの一戸建てとなれば、家賃が気になるが都会では温泉付きでなくても全く普通の値段であり格安である。こんな所で余生を送ることが出来る「Y」さんは「ラッキーマンばい」と言ったが、そのおこぼれに預かった山人もラッキーマンかもと思ったのである。

翌日も朝から温泉に長々とつかり、山鹿市菊鹿町にある「鞠智城(きくちじょう)」(今から1300年前、「白村江の戦い」で敗れた大和朝廷が「唐」、「新羅」との戦いに備えて築いた山城)を見学し無事帰崎した。Yさん、本当にお世話になりました。謝謝。

『独り言』「うむ、Yさんも、もちょっと酒量を控えれば百歳は楽勝と思うバッテンが?少し飲み過ぎバイ」

「赤い花なら曼珠沙華オランダ屋敷に雨が降る濡れて泣いてるジャガタラお春……」と歌われた長崎の曼珠沙華は最近少なくなった。しかし熊本の道中はこんな感じが見られた。

西国の畦曼珠沙華曼珠沙華 森 澄雄

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畦道の曼珠沙華はモグラよけとか?

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前方後円墳がある江田船山古墳
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園内の古民家
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水車小屋
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黄昏の田園風景(Y温泉)
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白い鳥が餌あさり
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鞠智城(きくちじょう・大和朝廷が「白村江の戦い」で、唐、新羅の連合軍に敗れ、日本にに攻めてこられる危険が高まっため、九州には大宰府を守るために大野城「福岡県」、基肄城「佐賀県」、金田城「対馬」が造られた。鞠智城はこれらの城に食料や武器、兵士を補給する支援基地だった。古代史の勉強でした)
鼓楼(八角形建物)
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米倉(校倉造りの食料庫)
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板倉(武器を保管した倉庫)
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兵舎(防人たちの宿舎)
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鼓楼と米倉
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温故創生の碑(防人と家族)
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2010年8月 7日 (土)

ポルトガル帆船サグレス号

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炎暑の中、町内会の振り込みの仕事で外出したついでに、入港中の世界一美しい帆船とも言われているポルトガル帆船サグレス号を見に行った。ちょうど船内無料開放中だったので暑さにうだりながらカメラでぱちぱち撮りまくって早々に退散した。家に帰って「うむ、やっぱり可愛いな」と写真を見ていると、いつの間にか後ろから見ていた娘が、「あ!お母さん、お父さんはね………男はいやね……」と告げ口に行った。どれどれと妻が来て「あら可愛いわね、これぐらいいいじゃないの」と言う。流石妻である、山人が人畜無害の男であることをよく知っている。それにしてもたかが写真ぐらいでごちゃごちゃ言うとは困った娘である。

長崎港には、江戸時代からオランダや中国の帆船が入港していたから今でも帆船が停泊していていると様になる。
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サグレス号は軍艦である。ピカピカだった。
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船内にいた可愛らしい二人の士官?殿、横のおっさんはカット。
英語なら話せるが?、ポルトガル語はちんぷんかんぷん。写真を
撮ると「アリガトウ」と言われた。流石士官殿は礼儀正しかった。
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左側がキャプテン
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船首のエンブレム
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2010年7月27日 (火)

2010長崎帆船祭り

毎年四月に開催されていた長崎帆船祭り、今年は中止かと思っていたら「海フェスタながさき」の一環として 7/17~26 に開催された。四月の時は、帆船入港を写真撮りに行くのが常だったのに、「蒲柳の質」の山人にはこの暑さは耐えられない。今年はパスだと思ったが写真だけでも撮らねばと、25日ボウリング例会(4ゲームのアベレージ、141という不本意な成績)の後、会場の「長崎水辺の森公園」へと出かけた。日曜日だというのにやはり見物人は少なかった。四月だと顔見知りの誰かと会うのだが今回は誰も会わなかった。ぱちぱちと写真撮ってすぐに引き上げた。「市長殿」来年からはまた四月開催をお願いいたします。

ロシアの帆船「パラダ」と「ナジェジュダ」
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後方の「ナジェジュダ」が小さく見えるが大きさはほぼ同じ
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コスモスが咲いていた
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日本丸と海王丸
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韓国の帆船「コリアナ」と後方「観光丸」
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正面が出島ワーフ、食堂街?
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2010年7月 1日 (木)

小学校のクラス会(2010)

「寡婦増えし梅雨の晴れ間のクラス会」

還暦を迎えて以来、毎年一泊二日の小学校のクラス会を開いている。同窓会ではなくクラス会だから感心される。4年、5年、6年とクラス替えがなく三年間6組だったから「六六会」である。名簿には60名の名がある。内、死亡者が10人(内9人は男)、15人が住所不定、返事を出さぬ者、監事を除く30人ぐらいに案内を出している。今年は、佐賀県唐津市に決まった。今年は初めて夫連れの参加があり18名となった。しかし二人が体調不良で事前に不参加となり、16人(男7、女9)の参加となる。女9人の内、5人が寡婦、男の妻達は皆健在。世間通りの女性上位の世界である。
今年は見習い中という無料の添乗員が付いたので、監事としてはかなり楽ちんだった。十年以上続くと参加者も大体限られてくる。男女を問わずお互いに家庭の事情も分かってくる。酒好きはいるが酒乱はいないので和気藹々のおしゃべり会となる。昔話は語り尽くしたので話は健康の話が多い。一病息災ではなく、二病、三病が珍しくない。女性の場合は腰痛と膝痛が増えてきた。また寡婦が多いので再婚の話などでるが夫には苦労したのか?「男はもうよか(男はもういらない)」と言う者が多かった。
最初8人いた監事も、死亡、病気療養中でこの二年は4人が世話役である。近隣の観光地は行き尽くしたし、遠出は金がかるしで、二年ごと、75才、喜寿、傘寿で打つ止めという話が幹事会の中ではでる。この話を会の中ですると、いや毎年続けてくれという意見が圧倒的だった。まあ毎日2万歩は歩くという元小学校長の会長がいるのでなんとか続きそうである。幹事会の反省会では来年からは体力を考え観光は控え目にしょうという事で終わった。

国定重要文化財・旧高取邸(敷地2300坪、建坪300坪。杵島炭坑
などの炭坑主として知られる高取伊好の邸宅、室内撮影禁止)

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鏡山(284m)から、別称領巾振山(ひれふるやま)、松浦佐用姫が

この頂から領巾を振ったという謂れから。眼下に虹ノ松原、唐津湾、
唐津城、市街を一望できる景勝地。あいにくと靄が深くよく見え
なかった。下は虹ノ松原
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見返りの滝(日本百名滝選に入っている)
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唐津城から、正面に鏡山が見える。
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高島、ここにある宝当神社で宝くじを袋に入れて祈願するとよく
当たると言われている。唐津城から。
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高島をバックに記念撮影
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