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数日前から気温30度、日当たりのよい我が部屋は32度まで上り、梅雨明けした真夏日という感じです。
兼題は「梅雨晴間・雑詠」
追憶は夫在りし日々月涼し 田鶴子
老鶯や忘れてをりし里の道 路子
古希仲間梅雨の晴間の集いかな 山人
トンネルを抜け万緑の迫り来る 洋子
木洩日や沙羅の花咲く庭となり 千代美
らっきょうの香に包まれし厨かな 伯水
梅雨晴や退院の日の決まりたる 寂水
リハビリの一歩が嬉し梅雨晴間 汀子
句会は句評、句作の話と、わいわいがやがやと姦しい。終った後も一時間ぐらい歓談となる。早く寝て3時に起床する人、2時に就寝する人、文学者の生活は不規則である。
7月、8月句会は初盆が二人いるため休会となりました。
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スイス旅行の想い出
スイス、ドイツの6月は白夜、夜9時過ぎてもまだ明るい。インターラーケンへは夕方6時頃着いたが(荷物はジュネーブからインターラーケンへ送っていた)余りに明るいので散策したり、食事したりして9時過ぎに荷物をインターラーケン駅に取りに行くと、アメリカ人、 4人ぐらいのグループが困った顔をしてたむろしている。目の前にいた女性の30代ぐらいの駅員に荷物をというと、駄目だという。要するに時間外だということらしい。荷物は5.6m先に見えているのだがけんもほろろの対応である。
旅行で荷物がないとお手上げである。しかし英語は日本語と変わらない位に堪能な我らがリーダー「R夫人」が駅長らしきでっぷりとして人の良さそうな60前後のおっさんを探してきて、英語で荷物を出してくれと交渉、駅長が駅員に出してやれというが、上司命令も頑として聞かない。台車を使えば一回で済む仕事であるが、駅長は荷物は自分の仕事ではないとばかりに自分がやる気はまったくない。十分以やりとりがありついに納得したのか女係員が鬼のような顔して荷物を渡してくれた。まあ時間外に来た我々が悪いのだが、日本ではあり得ない話。組合の権利意識と関係があるのかもしれないがスイスは観光国である。ニコニコしながら次から時間内に来てくれといえばチップでも渡したと思うが多分やらなかったと思う。「所変れば品変る」を如実に実感したのである。
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五月に、山人の命の恩人であるホームドクターで、また友人でもある「R・MD」の母上が86歳で急逝されました。天草で一人暮らしをされていましたが、今年から体調を崩されケアハウスに入居されたばかりであった。彼の母上は、色白で皺シミがほとんどないという私が知る限り希に見るきれいな老婦人でした。亡くなる前日にお世話していた奥さんが、「また来ますね」と長崎へ帰ってきた翌日早朝の出来事でした。朝の7時半頃、今船の中からと連絡を受け、妻と昼の便で駆けつけました。ご遺体は戻ってきたばかりで、まだ眠っているような安らかな死顔でした。
力仕事が出来ない山人は、通夜と本葬の受付とお香典の管理ぐらいの手伝いしかできなかったが、北海道、東京、大分にいる三人の孫達が家族全員で当日中に駆けつけてくれ、おばあちゃんも大感謝だったと思います。
アカデミー賞を取った「おくりびと」では、家族の前で遺体を儀式のように着付けするシーンがあったが、かようなことは当地では行われない。病院か葬儀社の仕事である。ご遺体を柩に納めるお手伝いをした後、葬儀社の方が何かしていると気付いてはいたが、暫くして呼ばれていくと、綿でできた見事な白無垢で飾られていました。遺体は何人も見ているがこんな着付は初めて見ました。生前を偲ばすとてもきれいなお姿ででした。
葬儀では、霊前で5人の曾孫達が「ひいおばあちゃん!天国でも元気でいてね!」と語りかけ、会場の涙を誘いました。
山人は尊厳死会員である。無用な延命治療は受けず、認知症などにかからず、家族に迷惑を掛けることなく、ぽっくりと死にたいというのが希望である。しかし認知症になる人もなりたいと思ってなるわけではないので、これは難しい問題なのである。
去年の暮に亡くなられた俳句会の主宰は亡くなる前日まで元気で夜に具合が悪くなり、翌朝入院し、夕方には亡くなるという潔さであった。
今回の場合も今年になって入退院を繰り返されたが、頭はしっかりしすぎるほどしていたし、親孝行な息子と優しくて確者(しっかりもの)の嫁に恵まれ、とても幸せな一生だったと思いました。
私は天草へは何度か泊まりがけで行き、「(先生の)お母さん、お母さん」と呼んでいたので、「お母さん、最後にとても息子孝行をされましたね、見事な死様でしたよ」と心から手を合わせました。合掌!
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