2018 長崎原爆忌 平和の誓い

2018 平和の誓い

1945年8月9日、13歳だった私は、爆心地から3・2キロ離れた自宅の2階で被爆しました。気を失った直後、爆風で飛んできた大きなガラス戸の下敷きになりました。幸いに奇跡的に無傷で助かりました。

 3日後のちょうど今ごろ、私は、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていました。探し当てた父方の伯母の家屋跡には、黒焦げになった伯母たち家族の遺体が転がっていました。そのちょうど同じ時、丘の下の上野町では、3日間生きながらえた母方の伯母の遺体をトタンの板に載せて焼いていました。焼き終えた人の形をとどめた遺骨を見たとき、優しかった伯母の姿が目に浮かび、その場に泣き崩れました。原爆により身内5人の命が一挙に奪われました。この日一日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を、私は私の脳裏から消し去ることはできません。

 原爆は全く無差別に、短時日に、大量の人々の命を奪い、傷つけました。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けています。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です。

 全国に移り住んだ被爆者たちは、被爆後10年余り、誰からも顧みられることなく、原爆による病や死の恐怖、偏見と差別などに一人で耐え苦しみました。

 ビキニ環礁での、1954年3月1日のアメリカの水爆による「死の灰」の被害に端を発し、全国に広がった原水爆禁止運動に励まされて、1956年8月、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。

 日本被団協に結集した被爆者たちは、「同じ苦しみを世界の誰にも味わわせてはならない」と原爆被害の残虐な真相を、国の内外に伝え、広げ、核兵器の速やかな廃絶を世界に訴え続けて参りました。

 2010年代に入り、国際政治の場において、核兵器の非人道的な被害に焦点が当てられるようになるなか、長年にわたる被爆者と原水爆禁止を願う市民社会のさまざまな活動、さらにICANの集中的なロビー活動などが実を結び、2017年7月、「核兵器禁止条約」が国連で採択されました。被爆者が目の黒いうちに見届けたいと願った核兵器廃絶への道筋が見えてきました。これほどうれしいことはありません。

 ところが、被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って「核兵器禁止条約」に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません。

 核兵器国とその同盟国は、信頼関係が醸成されない国が存在する限り、核抑止力が必要であると弁明します。核抑止力は核兵器を使用することが前提です。国家間の信頼関係は徹底した話し合いで築くべきです。

 紛争解決のための戦力は持たないと定めた日本国憲法第9条の精神は、核時代の世界に呼びかける誇るべき規範です。

 私は、多くの先人たちの働きをしのびつつ、「ヒバクシャ国際署名運動」をさらに大きく発展させて、速やかに「核兵器禁止条約」を発効させ、核兵器もない戦争もない世界の実現に力を尽くすことを心に刻み、私の平和への誓いといたします。

 2018年(平成30年)8月9日 被爆者代表 田中熙巳

2018 長崎原爆忌 平和宣言

2018年「非核化へ導くのは被爆国の責任」

平和宣言

 73年前の今日、8月9日午前11時2分。真夏の空に炸裂(さくれつ)した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃虚と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。
 原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。

 1946年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。

 昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証(あかし)です。

 しかし、第2次世界大戦終結から73年がたった今も、世界には1万4450発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。

 核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。

 そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。

 日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。

 今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。

 長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引(けんいん)してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」

 二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。

 平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。

 被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。

 長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。

 折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。

 東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。
 被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。


 2018年(平成30年)8月9日 長崎市長 田上富久

被爆体験記

被爆体験記 田中雅子(長崎県立長崎高等女学校39回生 旧姓 塚原)

 私は十七歳のときに長崎で原爆に遭いました。
五十年以上たった今、やっと原爆の話が出来るようになりました。
(もっと早く話したかったのにあまりにもつらくて話せなかったのです。)
原爆が落ちたときアメリカはいち早く悲惨なむごたらしい所を覆いかくし、なにもかも無くなった日本に金を投じて修復しました。(天主堂、大学病院などです)当時M・Pは強大な力をもっていて日本人も恐ろしくてそんな写真を撮ったり、持ったりとても出来ませんでした。ひどい資料は、秘密にされるか消されるかでした。だから後で原爆に関するものを見ても「こんなものではない!!!」 と怒りさえ覚えました。だから私が七十過ぎた今、死ぬ前に原爆を受けたものとして、書き残さねばとならないと思いました。
それはアメリカは原爆投下を戦いを早く終わらせる為という大義名分にしたことです。
そのとき長崎には500人以上の連合軍捕虜が三菱造船所などで働いていました。
(私は行列を作って造船所に行進しているのをみました。調べればすぐわかるはずです。アメリカ人ばかりでなく、イギリス人やオーストラリアも)。その人達の宿舎は爆心地(浦上)の方だったので、皆日本人同じ目にあい、多分皆原爆病にかかって死んでしまったと思います。
私は翌日から原爆地の工場長に頼まれて、(私の家は爆心地から3・4キロだったので)軍の炊き出しの手伝いに行きました。まだ燃えている所があって走って通り抜けねばなりませんでした。
その時、私は見たのです。包帯をまいた青い目の捕虜の人たち一団が焼け跡の中にいて、銃を持った日本兵が一人そばに居ました。傷ついた捕虜の人達は精気がなくて三々五々とあちこちにうなだれたりして座っていました。私は原爆を落とした敵の人達と思ってもかわいそうと思いました。そしてこんなひどいダメージをしたアメリカを、自分たちもやられたけど、良かったと思っているかしら?日本をやっつけた事を喜んでいるかしらと思った事でした。
そしてその時はまだ日本人は傷ついて治療も受けられないでうめいている人達がたくさん居たのに、捕虜の人達は兵隊がついてるので、いち早く手当を受けられて、日本人よりラッキーなのかなと思ったりしました。私が十七歳のときでした。
世界中の人はこのことを知っているのでしょうか、一人の人質でも救おうとするのに、何百人もの自分たちの兵隊を犠牲してまで、使った事のない恐ろしい原爆を落とさねばならなかったのでしょうか。原爆の悲惨さはアウシュビッツの千倍も万倍もひどいものですよ。

カズオ・イシグロ

ノーベル文学賞 「カズオ・イシグロ」

ノーベル文学賞を日本人で英国国籍の「カズオ・イシグロ」が受賞したという嬉しいニュースが飛び交いましたね。 十数年前、妻・友人夫婦と見た、アンソニー・ホプキンス主演映画「日の名残り」の原作者が日本人カズオ・イシグロだとは知ってはいたが、彼が長崎市出身であることは知りませんでした。而も彼が住んでいたという生家は、なんと我家から100メートル位しか離れていない。 その上彼が卒園した市立桜ケ丘幼稚園(2012年閉園)は、私も通った名門幼稚園である。 ノーベル賞受賞者が幼稚園の後輩であると思うと、何ともいえない喜びがこみ上げてくる。 まだあるよ、孫娘の形見、愛犬「茶々」のホームドクター「長崎動物病院」藤原院長がカズオ・イシグロと従弟同士というので取材の模様が放映されていました。 
先日、フィラリアの薬貰いに行った時、院長とぱったり出会い「今日は」と挨拶を交わし、 私が「イシグロさんと同じ幼稚園ですよ」というと、院長も「私も桜ヶ丘幼稚園ですよ」と話が盛り上がったのである。
ノーベル文学賞受賞者が、ご近所、同じ幼稚園、愛犬のドクターが従兄弟となると一層テンションが上がる。 彼は5歳の時渡英したそうだが、せめて中学まで居てくれたら私たちの先輩になったのにね、と娘達が残念がっていました。
また、2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩氏は両親が長崎県人、そして旧制諫早中学、長崎大学薬学部出身であり、諫早で被爆されているしで、故郷は長崎だと講演会で話されている。長崎県から二人のノーベル賞受賞者が産まれたのは長崎県民の誇りであるし、政治の世界では腹立つことばかりなのに、久しぶりに精神が高揚し且つ心のやすらぎを覚えた次第であります(^o^)

長崎原爆忌・俳句・名言

8月9日 (水) 陰暦六月(水無月)十八日 大安 

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今日は何の日」http://www.nnh.to/

長崎原爆忌、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典[1945年8月9日午前11時ごろ、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の500m上空で爆発した。約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷を負った。]、
世界の先住民の国際デー、ムーミンの日、形状記憶合金の日、はり・きゅう・マッサージの日、パークの日、薬草の日

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寺の鐘教会の鐘原爆忌  村中 のぶを

季題・原爆忌(8月9日は長崎原爆忌、山人は爆心地から3.4キロで被爆した。ピカドンといわれたようにあの眼の眩むような白い閃光は決して忘れることはない。原爆はアメリカが非戦闘員(老人、女、子供)に行った決して許すことが出来ない人体実験である。
原爆資料館にある原爆死没者名簿には、父、母、姉二人の名がある。

戦争がきょうも何処かで長崎忌  山人 (かなしいですね)

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余禄 きょうの名言 「戦争」

将来の戦争は勝利に終るのではなく、相互の全滅に終わる。

B・ラッセル/イギリスの数学者・哲学者

(核戦争が起きればこうなる)
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平成29年 長崎平和宣言

長 崎 平 和 宣 言

 「ノーモア ヒバクシャ」

  この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。

 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2017年(平成29年)8月9日

長崎市長  田上 富久


Hato

きょうの名言「悪人」

 きょうの名言 「悪人」

猫の毛色にも虎のような斑(ぶち)があるも、虎に似ているというだけで、誰も虎とは思うまい。ところが人間には、淺知恵をはたらかす者のいて、さもおのれを虎のように飾りたてて、人を惑わす。

石田三成/安土桃山時代の武将

(淺知恵をはたらかす者が、権威という鎧を着ていると人は簡単に惑わされる。惑わされるか、されないか、愚者と賢者の別れ目である。
安倍内閣の支持率が下がったのはすべて安倍総理自身の責任であり、内閣改造などは本末転倒である。今回の内閣改造で前回の支持しないから、支持するに変えた者は愚者以外のなにものでもない。)

きょうの名言「恥」

きょうの名言 「恥」

羞恥心(しゅうちしん)の欠点は、たえず嘘をつかせることである。

スタンダール/フランスの作家 『恋愛論』

(24日、25日の衆・参予算委員会の政府答弁を聞いていると、この名言を思い出した。でも彼等には本当に「羞恥心」が欠如してるのでは?とマジに思った次第である)

鳥「メダイチドリ」・俳句・名言

きょうの鳥「メダイチドリ・チドリ目チドリ科」、全長約19センチ、日本には春と秋の渡りの途中に訪れる旅鳥。砂浜、干潟、河口に生息し、ゴカイや甲殻類を食べる。 食べる前にゴカイを水でゆすぎ泥を落とす行為が観測されている。 

S・植木の探鳥日記
潮干狩り用のネットで囲い込まれて狭くなった三番瀬の干潟。カメラマンが1人、どこか鳥はいないかと探しまわって、やっとメダイチドリ1羽と、遠くにチュウシャクシギ1羽を見付けた。

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撮影地 千葉県・ふなばし三番瀬海浜公園(5月) 「東国山人のつれづれ鳥日記」より


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5月18日(木) 陰暦四月(卯月)二十三日 

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「今日は何の日」http://www.nnh.to/

国際親善デー、国際博物館デー、18リットル缶の日、ファイバーの日、ことばの日
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ひと風呂のあとのひと雨初鰹  鷹羽 狩行

季題・初鰹(はつがつお/初鰹で飲む酒はうまかでしょうね。)


蛍火や手首ほそしと掴まれし  正木 ゆう子

季題・螢(ほたる/試す価値がありそうですな。最近、蛍狩りでスマホでフラッシュたいて撮るひといるそうですが、フラッシュは厳禁だそうです。マナー違反は止めましょう)

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余禄 きょうの名言「ことば」

外国語を知らない者は、自分の国の言葉についても何も知らない。

ゲーテ/ドイツの詩人、作家 『格言と反省』

(それにつけても日本語は難しかですね。まだ分からんことがいっぱいある)
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凶暴な人たちが「共謀罪」を凶行採決しようとしている。この法律は「諸刃の刃」となるのに気がつかない。
自分たちの政権が永遠に続くと思っているのであろう。驕る平家久しからず。愚かな人たちである。

俳句・名言・絵画「初夏の山」

5月17日(水) 陰暦四月(卯月)二十二日 

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「今日は何の日」http://www.nnh.to/

世界電気通信及び情報社会の日、高血圧の日、国際反ホモフォビアの日、生命・きずなの日、お茶漬けの日、パック旅行の日
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二歩三歩にて転ぶ児に若葉風  三上 冨佐子

季題・若葉風(わかばかぜ/風も微笑んでいるようです)


梢からはやす蛙やおどり花  小林 一茶

季題・踊子草(おどりこそう・シソ科の多年草/花の形が、笠をかぶって踊る踊子のように見えるところからその名がある)

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余禄 きょうの名言

こわれやすい小舟に乗った人間に舵が与えられているのは、波のまにまに、流されないよう、自分自身が考えて思う方向に進むためだ。

ゲーテ/ドイツの詩人、作家『ニコローヴィウスにあてた手紙より』

(新聞テレビなどのいうことを素直に信じてはいけない。)

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きょうの絵画「初夏の山」

Syokayama


絵画 山下康博 山鹿市在住の友人 

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